「栄光」 02−12−15
ルカ2:1〜20
主イエスの誕生を気付かないでいた羊飼いに、天使は
<救い主がお生まれになった>と告げました。
それは、静けさの中で、しっかりとした、重厚な口調での宣言で
あったと想像します。ところが、その宣言が終わると、突然天の
大軍が現れて、主を讃美し始めました。天の大軍は、主の誕生を
告げるまでは、その宣言を妨げないように静かにしていたのかも
知れません。
しかし、もう黙っていられなくなったのです。主の誕生は、じっと
していられないほど素晴らしいことであったからです。天に属する
天使達は、救いの素晴らしさを、私たち人間よりもよく知っている
のでしょう。ですから、救い主が誕生した時、人間達よりも大きな
興奮が、天使たちの間に起こったのです。
クリスマスは、私たちにとってもうれしい喜びの日ですが、
私達よりもずっと大きな喜びが天に起こった日です。
そのとき、羊飼いを主の栄光が照らしました。その栄光の中には
神さまの「何としてでも人を救いたい」という、重い重い決意が
詰まっています。神が愛する御子を手放し、しかも十字架に
向かって進ませるために世に誕生させられたのです。
それは生半可な決意で出来ることではありません。どんな犠牲を
払ってでも救いたいという、重い決意によることです。
そこには、「決して人を放っておきはしない」という決意も
込められています。神は、迷いだした羊のように、人が滅びへ
進んでいくのを見ていられないのです。黙って放っておく事が
出来ないのです。そのために救い主をお与え下さいました。
「救いたい」、「放っておけない」と思ってくださるのは、
神さまには「人を愛し抜く」との決意があるからです。
神さまに背く人間ですが、なお愛するゆえに放っておけない、
救いたいと願ってくださるのです。
羊飼いを照らし、私たちを照らす主の栄光には、そんな神の
重い重い決意が詰まっています。私たちは今年もこれを確認し、
そのような栄光に照らされ、包まれていることを喜んで進んで
行くのです。